赤チン塗っとけば、骨が見えてても治る時代やから。
ここまでの物は無かったけど『遊んだ時点で自己責任』の時代だったし
周囲に居た年上や同級生が「コイツじゃまだ無理」と思ったら嫌がらせでは無く危険な遊具では遊ばせなかったからね
昭和なら1912年では無いな。
高いところ上るの好きだったからこんなのは羨ましいな。
組体操で怪我するとか教師が無能だから
高い雲梯から手が滑って落ちて腕にひびがいって全治1月半
でも雲梯はそのままで自分が怪我したことなど話題にもならなかった
俺がお母さんなら絶対やめさせる
昇り棒好きだった
>32357.
登り棒の上を歩いてたわw
頭から落ちて怪我してハゲ作ってるバカがクラスに一人は居た系
望遠レンズの圧縮効果に違いないから気にしないでください
女子は登り棒好きだったな
特訓じゃん。
昭和後期ぐらいでも身長の数倍の遊具は当たり前にあったな。
ケガ人は定期的に出たはずだが問題にならなかった。
ある時期から急激に撤去が進んで、完全に過去のものになったね。
きんたまクッってなるわ
小学校の登り棒とかアホみたいに高かったよな
よくみんなで上まで登って頂上のバーに座って景色眺めてたり
足引っ掛けて逆さまにぶら下がったりしてた
落ちたらただじゃすまないけど
見るからに危ない遊具だと逆に気をつけるから
そうそう事故もなかったんだろうな
すげえな、命綱無しなんだぜ。
雲梯5段飛ばしとか挑戦して落下してたな
体弱くて、逆上がりも出来ないのに何やってたんだか…(解:娯楽がなんも無かったんじゃ!)
落ちてる途中の人いるけど、大丈夫だったんだろうか
木登りとか当たり前の時代だから……
危ないと認識できるようになったのは、環境が変化したおかげだろうさ
ここまで高いのはなかったが3m位の高さの登り棒とかは
普通に小学校あったよな
冗談抜きで、30年ぐらい前の日本でも普通に
川の上流の崖になってるところなんかから
小学生が飛び込んで遊んでたからねー
大人がいない場合でもその場で最年長あたりが
目を光らせてよその子供でも見張ってたし
そういう部分じゃ昔の子供の方が地域や社会と協調してたかもね
4F外鉄階段の外にでてぶら下がり懸垂とか普通にしたり階段使わず下に降りたりよく4なないでよかったロッククライミングあの当時あったら良かったなと思う
1912年って明治45年/大正元年やんけ
ワイ、飛び込めない!って泣いてた友だちを突き落としてゲラゲラ笑ってたわ…
とよくん、すまんな
神社の杜の高い木登り一番上まで行き全て制覇した 制覇出来ない子供はお豆扱いにされていた時代
当時は色々あれだからな
既出だが小学校なら1年から6年まで一緒の遊び場で
下級生の面倒は結構上が見てくれた
お兄ちゃん、お姉ちゃんが下の面倒を見てた時代だから
下がどうしても参加するときはお豆といって雰囲気だけ
参加する形式だった
まあ学校て昔は子供を軍隊に入れる予備訓練的意味合いもあったから
怪我より鍛える方が優先されたんちゃうか
登り棒あったなぁ、今でもあるんだろうか
めちゃくちゃ高くて怖かった思い出がある
あと登り棒に上って腕だけで降りる滑り台みたいなのもあったんだよね
地球儀も危ないから無くなっちゃったしせめてこっちは残ってると良いんだけど
ニンジャ育成施設やんw
10tダンプか何かのデカくて太いタイヤが校庭に設置されてて、
それの上に乗って玉乗りみたいに転がして遊んでたなあ
1990年代でも高さのある遊具とか危険なのはいろいろあったな
そして3mくらいのところからなら飛び降りたりもしてた
そういえば体育館には太いロープぶら下げたやつあったな
それで体育の授業で体育館の天井付近まで昇ったりしてた
登り棒で開眼しました
>> 32371
左端下あたりの子でしょ?
見えづらいけど薄っすらロープが写ってる
ブランコ様のものを爆漕ぎしてるだけだと思う
鉄棒、ブランコ、登り棒、雲梯は遊び場というか学校に普通にあったな
公園だとそれらに加えジャングルジムとか回る丸いジャングルジムみたいなやつ(名称を知らない)やシーソーなんかがあったな
40年以上前だけど、探検と称して休日の工場の中を歩き回ってたな。
ホントに危なそうな所は近づかない様にしてたし、おおらかな時代ではあったな。
落ちたら危ない?
じゃあ落ちなきゃいいじゃん
1912年は昭和じゃないぞ!
*32389
体育館の天井から生えてるロープあったなあ!
2000年くらいまでは確実にあったと思う
得意な奴は天辺まで登って、更に梁を渡ってたら流石に先生に怒られてたっけ
落下してるやついると思ったらブランコか?
今やコロナの所為で砂場が一番危ない事になってるな、自粛警察がカッターナイフの破片を大量に砂の中に入れてたらしい
子供の身体能力が下がり続けてるからな、というか大人もだけど。スポーツにせよ記録更新は道具や靴などの進化や環境面でのアプローチが飛躍的に向上してる分が大きい
子供の頃は地下の下水溝の中に侵入して下水流に逆行しながら暗闇の中の段差を越えて進んだり、十数メートルの崖を登り降りしたり、急な坂道を自動車の後方数メートルの位置をキープしながら全速力で下ったり、今考えるとよく生きてたなと思わなくもないな
確かに昭和じゃないじゃん
なんとかは高い所が好きだから。
木登り自由だったなぁ。
運ていはぶら下がるものじゃなくて上を走るもの
円形回転ジャングルジムで、最後まで残ってたやつが優勝で外にしがみついてたやつが次々と吹っ飛ばされてた時代。怪我の理由を母親にチクったやついて禁止になった。シングルマザーって子供がかすり傷でも負うものなら何であんなにヒステリックになるんだ?
丸くて回転するジャングルジムってグローブジャングルって言うらしいね、グローブ、地球型って事なんだろうけど、90sの終わり頃かそこらへんで消えゆくグローブジャングルってNHKか何かでやってて初めて知ったわ、その時はライトアップしてアート表現って感じの取り組みを紹介してた気がする
危険だけど絶対面白いわ
90年代はここまでではなくてもまだ危険な遊具が生き残ってた時代だわ
ブランコや回転するジャングルジムから振り落とされて怪我してたっけ。運動神経悪かったけど、木登りとか崖登りも普通にしてた
今は木登りも防具つけてツリークライミングなるアウトドアスポーツにしてるね
安全性上がったけど、体力も運動能力も劇的に落ちてそう…
子供は身軽で衝撃も大人ほどじゃないからね
大人はやっちゃダメ
子供の頃はこういうのに惹かれるんだなあ
高いところとか
いつも誰かが骨折してて、
誰でも一生に一回は骨折するものだと思っていた
昭和は子供が井戸に落ちて骨折とか、割とありふれてたしな、今は怪我以上に拉致の方が心配ってのもあるだろう
眠ってた記憶が。。確かにこんなハードモードの遊具はあったな。ノービスが近付かない様、梯子はなく2m位の登り棒が最初の関門だったわ。
今は遊具のほとんどが禁止になっちゃってるからそういう子供時代を送った人たちは大人になっても思い出が少なくてちょっとかわいそうだね。
子供の頃にやった共通のゲームの話くらいか。
まぁ自分らが子供の時代、遊具で大怪我する子が身近にも一人二人いたくらいだから仕方がないのかね。
この時代は、6人も7人も子供を産んで、
そのうち何人かは病気や事故で死ぬのが当たり前だったからな。
1人か2人しか子供を産まない現代では危ない遊びはさせられない。
アラフォーだけど小学生の頃ドイツの写真位の高さの吊り輪はあったわ
落ちて1年間寝たきりになった同学年の子がいた
翌年戻ってきてたけど杖ついてたから危険っちゃー危険だろうね
昭和50年代までなら めっちゃ高い雲梯とか砂場のわきに競技サイズの段違いの鉄棒とか
小学校にも普通にあったからなあ
あった、というか目の前で新設されて、子供心に「これは危険なのでは…」とびびったけど
出来上がったら みんなで楽しく遊んでたわ
危険ではあるが、1912年の頃の子供って、男の子の場合は、後の皇軍兵士だからな?
遊びながら鍛える発想で設置されたんだろ
日本の写真じゃないのに昭和とは
雲梯の上を歩く、上り棒をしている棒を下で回す、
ゆりかごで立ちこぎからの大ジャンプ、段差鉄棒の上を綱渡り。
凍った池の上を歩く→落水、ミニスキーでがけの寸前で止まり切れず落下、
用水路を竹の棒を使って越える→竹が折れて落下・・
昭和40~50年代はおもしろ動画だらけだったな。
アラカンだけど流石にこれほど高いものはなかったな…
臆病な上に非力だったせいで 上り棒もロープも全然できなかったorz
よく見るとドイツの写真の女の子のパンツが見える…(笑)
この子らの中から東京タワー作った職人が出たんやろな〜
日本じゃないじゃん
体育館にぶら下ってるロープで上までのぼったりしたろ
さすがにあれは前衛的過ぎるけどいま思えば木登りとか戦争ごっこで投石とか安全が担保されてない遊びなんて普通だったな
昔の子供のおやつはいりことかだから今の子供よりもカルシウム取ってて骨密度が高い
それに柔術とかの受身も今よりも一般的だった
昔ながらの固いせんべえとか今の子は食べられない
この当時の子供の遊びは今で言う忍者そのものだな
体育館にぶら下がってたロープ今なら恐ろしくて登れんわ
時代が昭和じゃない上にそもそも日本じゃないとか・・・。
3,4歳の頃、児童公園の高い遊具で背中から落ちてしょっちゅう呼吸困難なってたわ
あれはあれで鍛えられたと思ってる。うちの子供にはさせんが
わー高所恐怖症の自分は無料…
「子供の頃から鍛えたらどうなるやろう」って実験されてたのか、この時代の人たちは…。
姑息なタイトルの付け方だなあ。「日本じゃないじゃん」ってツッコミに
「タイトルは昭和と書いてるだけで日本とは書いてない。1912年は昭和にあたる」
って予防線はってるわけでしょ?しかもその昭和も嘘だし。
もう二度とここは見に来ないよう気をつけよう。
小学校の校庭にあった大スズメ蜂の巣と全校生徒の戦いが
なんの問題にもならず毎年の風物詩だったあの頃
当時の人達の親世代って、子供でも労働していたし
命綱?何それ?
安全基準?はぁ?の時代の人だからな
こんなものが子供の遊びになる世代だし、子供というのは死ぬものだと思ってた
今の子供が甘やかされているだけだぞ
自分が通った小学校では回旋塔・ジャングルグローブ・ぶら下がりシーソー辺りは現役でのぼり棒も4~5mあったわ。(20年前くらいに撤去)
自分は太り気味だったけど、これらの遊具で昼休み放課後遊び、友人宅へ行くのにも山野を駆け回ってたからだいぶ鍛えられたなぁ。
そういう田舎から都市部の中学に通うようになったんだけど、太めの見た目からは想像できない身体能力がスポーツテストで明らかになって、付いたあだ名は”動けるデブ”「サモ・ハン・キンポー」だったわ……。(バック宙やヘッドスプリングはできた)
昭和言うなぼけ
ただでさえ日本の写真じゃないのに1912年を昭和って・・・
終戦が1945年=昭和20年って小学校の社会科レベルの知識があれば間違えようがないだろ